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アトリエ農園・抽象日記

アトリエ農園・抽象日記

2005年5月「抽象日記」

2005.05.03
「抽象日記」

 思いついたことは、すぐに行動に移すのがよいというのはよくわかっている。しか
し、やりたかったけれどできなかったことと、やばいなと思いつつもついついやって
しまったことのアンバランスな関係が予想もしなかった状況に私を導く。そんな予測不
能の日々の結果として、今の自分があるのではないかとも思える。
 誰にもこびるを売ることなく、また、誰にも迷惑をかけることのないような「抽象
日記」をはじめることにした。

2005.05.04
時間の速度

大人になると1年があっという間に過ぎていくと言う。たしかに小学校の3年生くらい
までの1年は永遠のように継続したものだ。

今まで、生きてきた間にはたくさんの目標を立てた。
たとえば「同時にたくさんの場所に存在するような感覚を持つ」というのもあっ
たし「一日ひとつ何かをつくる」というのもあった。

しかし、「時間の加速にブレーキをかけたい」という願いはだれにとっても切実なの
ではないか。いろいろなものに好奇心を感じ、子どものように集中し続ける事ができ
れば、時間の加速をほんの少しだけ遅らせる事ができるのではないか?

子どもの頃の「永遠の瞬間」「瞬間の永遠」はもはや取り返せないにしても。

2005.05.05
手を結ぶ

手をつないで歩いた人とはなぜか親しくなってしまう。
手をつないで語りながら歩く。できるだけ長い時間。
手を結ぶとなにか秘密の共有みたいな感覚が生まれる。

2005.05.06
記憶の不自由

もし、あなたが今日、自由ならその自由をすこしづつ奪ってみたい。一緒に自由を確
かめたりするのもよいだろう。しかし、あなたが今、不自由であるのなら私は干渉し
ない。
連休中に古い本を引っぱりだしてみたら、カート・ボネガットJrの文庫がたくさん出
てきた。読んだけれど思い出せない本がたくさんある。

2005.05.07
技術と心

電話回線の飛び込み営業をしている若い彫刻家に会った。
家を訪ねて人と出会い、人と話し、人の心をつかむこと。
それは技術だと彼は言った。
野望を持たなければ、技術と心に大差はないのかもしれない。心をこめてと話される
よりも、なぜか彼の話に心ひかれた。

2005.05.08
日常の中の非日常

当たり前のものが当たり前には見えなくなり、当たり前のものを特別な何かだと感じ
ると人は不安を感じたり居心地の悪い愉悦に翻弄される。

昨夜、近くの神社の本殿が全焼してしまった。まったく火事には気づかなかった。不
安で切ない夢にたかぶって眠れないと思っていたが、消防車の音にさえ気づかないほど
熟睡していたようだ。

2005.05.09
極彩色の過去と涙の理由

「オペラ座の怪人」をずっと泣きながら見たという女性がいた。なぜ、泣いたのか気
になった。すべてがうつくしいと彼女は言った。

映画の中でクリスティーヌが怪人の仮面を剥ぎ取ってしまう場面がある。どうして女
性は怪人の仮面をなんども唐突にはぎとってしまうのか?

怪人への愛は芸術への愛の象徴として描かれている。
過去の場面がカラーで、現在がモノクロ。
幼い恋愛と芸術への愛、過去と現在、すべてのものが引き裂かれながら過ぎ去ること
に感動しての涙だったのか。

2005.05.10
キャンプを好む

計画をたてずに旅行することの好きな人と呑んだ。いかに身軽になるか。
その人は野宿に限り無く近いキャンプを好む。テントはシングルを人数分。食材にはこだわる。

2005.05.11
本来のそれ自体

たとえば、リンゴがリンゴとして取り扱われ、人が人として取り扱われること。

2005.05.12
キャンプの下見

身近な人たちにキャンプの話をしたら乗ってきてくれた。話を持ちかけなければ、身
近な人たちとの間にはいつもと同じ日常がやってくる。身近にいる魅力的な人たちと
出会う事もない。
「そう!いつか平日か週末朝早くに集合してキャンプの下見に行きましょう。炭でな
にか焼いてビールを少し呑みましょう。」
なぜ、下見なんだろう?

2005.05.13
暇なとき

暇なときこそ新しい仕事の準備ができる。
忙しい時には今の仕事ををこなすことで精一杯。

2005.05.14
「好き」の禁止は「禁止」の魅力

学生の頃、ある美人版画家と有名画家に誘われて飲んだことがあった。その夜の別れ際、美人版画家と有名画家は長いキスをした。そして、美人版画家は私の目を見て言った。「あなたはわたしのこと好きになっちゃダメよ」

今まで何度も「好きになっちゃダメ」と言われたことがある。気にしていなかった人からそんな言葉をかけられるとなぜか、その人のことが気になりはじめる。
まるで、「好きになってね」と言われたみたいに。
若かったからかな?

誰かに「好きになるなよ」と言ってみようかな。

2005.05.15
多忙感覚

忙しいと感じるのは、やりたくない仕事に時間を使うとき。
好きでもない音楽をえんえん聞かされているような気持ちになる。
楽しいことをしているときに忙しいと感じることはない。

2005.05.16
曾我蕭白と「もんじゃ焼き」

(京都国立博物館 の曾我蕭白展へ行ったのはMay 09,2005)

京都では与謝蕪村、池大雅、円山応挙、長沢芦雪、伊藤若冲など蒼々たるライバルが
活躍した時代に蕭白は時流の表現に反抗して、アナクロニズムの奇想の表現を追求し
た。

この展覧会のキャッチコピー「円山応挙がなんばのもんぢゃ!」を見ていたら、曾我
蕭白の作品が、いろいろな材料をつめこんでかきまわしてつくった「もんじゃ焼き」
に見えてきた。

一度はまると癖になりそうな魅力。

2005.05.17
「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ。

連休中に、ほんとうにひさしぶりに村上春樹の物語を読んだ。

遠くの女友達に「ねじまき鳥クロニクル」を読んだとメールしたら、私には戦場での暴力にも妻を疑わない男にもリアリティーを感じられなかったという返信があった。

「ねじまき鳥クロニクル」は、たぶんリアリティなど求めていない本にちがいない。
ありえない!そりゃないだろう!の連続。

物語のリアリティが死んでしまいそうな時代に、そして、物語が陳腐なものとしてしか存在できない時代に物語を延命させる方法が模索されているのかもしれない。

因果関係のリアリティが解体されて、細部へのこだわりだけが清潔に描写される。
心理的な意味不明さがありえないプロットを呼び込み、微温的に、統合失調症的に心地よいというような本だと思った。

遠くの女友達には、もし、私が「ねじまき鳥クロニクル」の主人公ならいろんな場面でセックスしすぎて体を壊しているだろうと書いて返信した。

2005.05.18
人間関係のレイヤー

美術の知り合い、稼ぐための知り合い、幼馴染み、その他いろいろな人間関係。
できるだけそれぞれをバラバラにしておきたいと思っていたけれど、バラバラにする
ためにいろんな自分を演じてきたのかもしれない。

そんな自分自身の垣根をはずしてみるのもよいのかな。
人間関係のレイヤーを統合すること。

2005.05.19
こころの調整

今日はなんとなく、もの欲しいような、待ちくたびれたような気持ちになった。
だめだな。明日はまわりの人にやさしくできますようにと祈ってみた。
祈るのって、よくできたマインドコントロールだな。
少し気持ちが楽になった。
とにかく、もの欲しいような気持ちではよい絵は描けない。

2005.05.20
風は吹いている!

アトリエにあった本をふと開いたら、風が吹いていないのではなく、あなたが帆を広げていないのだという言葉を見つけた。
なんとなく無意識で手にとった本のページには心に響く言葉が必ずある。
意識してやったときには、うまくいかない。

2005.05.21
霊能者

弟の昔の彼女は霊能者だった。彼女には弟がその日見たものがすべて見えた。弟が出張から帰った夜のデートの会話はまるで同じ場所に一緒にでかけた思い出話しのようだった。弟が見たものを彼女はすべて言い当てた。
あるとき、彼女は弟と私の個展会場を訪れた。彼女は私の作品を見るなりお兄さんは有名な画家になると言った。有名とは?と尋ねると、あるテレビ番組に作品が放映されると言う。数カ月後、本当に私の作品がその番組で紹介された。
彼女は、ある日「わたしといるとあなたが不幸になる」と言って突然弟のもとから姿を消した。彼女といたときの弟にはすこしだけ霊感があった。

2005.05.21
誕生日

今日は昆虫学者と呑んだ。彼の奥様は小学校の先生。美人でユーモアも解し、童顔ゆ
えに毒舌が許されているが、繊細なところもある。昆虫学者のまわりに鬱病傾向のひ
とが多いと言う。憂鬱な気持ちは夕日が沈むようにやってくる。私たちはそれにのみ
こまれない、のみこまれないようにしようとワイン2本と焼酎を少々。今日は私の誕
生日。いくつになったのかよくわからない。

2005.05.22
子どものころのひとり遊び

石ころを拾って、手のひらに乗せて、日向でじっと見つめる。
じっと見つめると石ころから小さな光の粒があふれだして、きらきらした光のかたま
りになる。すべての石が光のかたまりになる訳ではなかった。
すぐに光のかたまりになる石もあれば、いくら見つめても光を吸い込むだけの石もあっ
た。光の石ころを集めて遊んだ。

2005.05.23
絵画論1

絵画は永遠と瞬間が出会う場所。

2005.05.24
新聞汽車

小学校1年生の頃、父の仕事は「新聞汽車」だと聞かされた。私がちぐはぐな返答を
するので、父は「新聞に文章を書く仕事」だと説明を加えた。私は汽車のなかで父が
文章を書いている場面を想像した。「汽車」が「記者」であることに気づくのにあと
数年は必要だった。

2005.05.25
天井のウッドペッカー

小学校の頃、風邪で熱が出て学校を休んだ日に、ひとり寝かされた部屋の天井の木目から光速で走るウッドペッカーが飛び出してきたことがあった。
ジェット音や私の鼻先をかすめる風までもがあまりにもリアルで私はおもわず飛び起きた。1分間ほど走り続けたウッドペッカーはゆるやかに天井の闇に沈む。
熱を出す度にウッドペッカーが見たくて木目を凝視した。しかし、数回、弱々しいウッドペッカーを見ただけで、私の間近を光速で走り抜ける力強い姿を見ることは二度となかった。

2005.05.26
『象徴交換と死』と9.11テロ

2001.9.11マンハッタンのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでいく映像
が放映されて、1週間ほどたったある日、書架に読まないまま置いてあったジャン・
ボードリアールの『象徴交換と死』をふと手にとってページを開いたら、こんな文章
が目に飛び込んだ。
「ニューヨークの世界貿易センターには、なぜ二つの塔があるのだろうか。」
そして、その答えはこんな具合に書かれていた。
「世界貿易センターの二つの塔は、正方形の土台の上に立つ高さ四〇〇メートルの完
全な平行六面体で、完璧にバランスのとれた、窓のない通底器となっているが、この
ような二つのまったく同一の建築が向かい合って存在するという事実は、一切の競争
の終わり、オリジナルなものへの一切の準拠の終わりを意味する。」
「一切の競争の終わり」の象徴は、一瞬にして消えた。

2005.05.27
過去の失恋

20台の半ばを過ぎた頃、失恋して車を走らせながら涙が止まらなかったことがある。
失恋して泣くのははじめてだったので、泣いているのは自分ではないと思った。泣くことで別の自分になったような気がした。

2005.05.27
三角関係

恋人の家には猫がいた。ある日、突然、猫がいなくなったとき私が付き合っていたの
は彼女ではなく、猫のほうだったのかもしれないと一瞬思った。懺悔。

2005.05.28
ウラ日記の誤解。

友達に匿名でウラ日記のブログを始めたと話すと、彼の表情が曇った。
「大丈夫なの?やめといた方が良いのでは」と言う。
彼は私がまわりの作家の悪口を 書いていると思ったらしい。
ウラ日記と言ったのがよくなかったようだ。

彼は美術と社会がなれ合うのはよくないと言う。
美術と社会がなれ合うのはどちらにとってもつらいことだと言う。
今の美術は社会となれあっているので、もっと距離をとるべきだというのが彼の考え
方である。
「それって、家庭内別居みたい?」
「不健康ですね。」

やはり、社会と美術の接点は必要なのだろうか?

今日はアトリエに泊まる予定なので、はじめて午前中の送信。

2005.05.29
無条件に与えあうこと

1992年のゴッホ展のカタログを見ていたらこんな言葉を見つけた。
みすず書房の『ファン・ゴッホ書簡全集』からの引用だ。

「日本の美術家たちがお互い同士実際によく作品交換したことにぼくは前々から心を
打たれてきた。これは彼等がお互いに愛しあい、助け合っていて、彼等の間にはある
種の調和が支配していたと言うことの証拠だ」1888年9月

作品によって愛しあい調和すること、無条件に与えあうことにゴッホは感動している。

私も今まで私に感動をくれた人に、一番大切な作品をあげてもよいはずだと思い始め
た。もう何百年も前に亡くなった歴史上の人物もにはプレゼントできないけれど、今、
生きている人ならばプレゼントできない話ではない。

かつて美術大学で習った先生からプロをめざすのならば人に作品をあげてはいけない
と教わったことがあった。作品を大切にしなければならないのはわかる。

しかし、力をもらった人、尊敬できる人、愛する人に作品をプレゼントするのは悪い
ことではないとこのごろ思う。

作品をプレゼントしたいと思えるような人にたくさん出会いたい。

2005.05.30
光速のゴッホ

ゴッホの線は加速して光になった。
光速の線がすべての風景を形作った。
ゴッホの絵からは光速の音楽が聴こえる。
響きつづけているので誰の耳にも届かない
宇宙の音楽をゴッホは聴いたにちがいない。

2005.05.31
ひさしぶりに本気で料理

先週末、工場街にある私のアトリエでほんとうにひさしぶりに友達と飲み会をした。
台所がないので調理は電熱鍋とシングルバーナーのみ。料理はサラダ、揚げだし豆腐、
ブタ角煮、飯盒で鯛飯を炊いて、海老と茄子のテンプラにお刺身など。お酒は、ビー
ル、赤ワイン、焼酎で、テーマは「居酒屋」。みんなわっと楽しんで、終電にあわせ
て帰っていった。
一度にみんながいなくなった後の切ない感じも、これはこれで贅沢な余韻かもしれな
い。
その夜はひとりでアトリエに泊まった。日曜日の朝、アトリエの外からいろんな鳥の
声が聴こえた。




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